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1月15日火曜日 曇りのち晴れ 気温10度 湿度45%

読書は道具であると思う。

使い方は色々ある、

知識を深めるため、
信仰する思想の理論をより強固にするため、
論文の解説に具体例として引用するため・・



この他にもたくさんあるが、

僕が思う有用な読書の仕方の一つは「論理力を鍛える」ことだと思う。



諺で言えば「一を学びて十を知る」というのが近いか。



唐突だが、

あることをテーマにした本、

たとえば環境問題だとか政治問題だとかなにかをテーマにした場合、

著者は「これだけは言いたい!!」というものを絞らざるを得ない。


本という媒体に頼るためだ、ページ数には制限がある。



そのため作られた本の中には、

大きなテーマに対して非常に狭義の事象を扱ったりすることも出てくる。


あるいは、狭義の事だけで一冊使ってしまう本も少なくない。


そのために一つの問題を狭く解釈してしまったり、

あまり読書をしない人の中には「この問題はこういうことなんだ!」

とある種思想書のように偏った働きをしてしまうことがある。

これはいささか危険に思える。




そこでこう考えてみたらどうだろう、

著者は本に書いてあることを遥かに超える知識を持ってこの本を書いている、と。



当たり前のことと言えば当たり前のことなのだが、

実際にこれを意識して本を読んでみるとまた面白い。



極論しか書いてないように思える本でも、

著者が極論を言いたいがために、妥協事項を全て取っ払って書いたと想像してみる。



そうすると著者が強調したい点はなんだろう?

著者が取っ払ったことにはどんなことがあるんだろう?


書いてあることは極論なんだけれど、

意識一つで意識的に書かなかったことや著者の思想などが色々と想像出来る本になる。


やがて想像が論理になり、

人間の心理、物事の組み立てなど様々な方面に役立つ能力を育てる。



以前僕は「一冊の本を読んだら、それとは対称的な内容の本を読んでみよう」

と思っていたのだが、最近ではこれは少し違うんじゃないかと思えてならない。



一冊の本で学べることがまだまだあったからだ。


著者を理解しようとし、想像する。


いつしか想像を組み立て情報を選択し、論理を組み立てる。



なんだか現代文の問題のようだけど、

大事なのはきっとそういうことなんだと思う。


知識を詰め込むだけじゃ時間がいくらあっても足りない、

その分を想像したり、論理的に素早く理解出来ることが大切なんだと思う。






ここで受験生らしく勉強と関連付けてみた。

センターの配点からも分かるように大学入試では、英、数、国が重視される。


これはなぜか。


それはいずれも論理を用いて回答することが出来る、

という点に重点が置かれている気がする。



これは意図的なのか、それとも偶然なのか。

論理力ではなく、別のものがこの三教科にあるのだろうか。


それは僕には分からない。




話しは変わって、

「受験勉強は暗記だけではいずれ行き詰る」

ということを聞いたことがある。


難関大学の偏差値に届かせるた毎日勉強しているけれど、

模試の数字が伸びない。


この現象は暗記勉強法に限界が来ているのではないだろうか?



僕はそんな勉強したことないからコレといえないけれど、

そこから先に行くのに大事なのは、


公式を覚えるんじゃなくて理解する。

解法を覚えるだけじゃなくて考察する。


そんな要素が大切なのではないかだろうか?



主要3教科と理科は全て論理で解ける。もちろん暗記は必要だが・・


暗記教科が二次試験で配点が低かったり、受験教科にないのは、

大学が必要としているのは充分な論理力を身に付けた生徒だからではないだろうか?





そしていざ就職という時、


跳水んトコで少し触れられていたこの言葉なんだが、

--結果的に高学歴の生徒を選んでいた--

これはもしかしたら就職に大切なのは高学歴というブランドではないのではないだろうか?




今一度思い出して欲しい、

難関大学に行くためには暗記だけではなくて論理力も磨かなければならない。




この言葉、もう少し掘り下げたらこう解釈することは出来ないだろうか?


「難関大学以外はさして論理力を磨かずして入学することが出来る」

「企業が本当に欲しているのは、論理力に長け、期日に向けて行動を起こせる人物」
 


一般に高学歴と呼ばれる生徒はどのような人物か?

高校生という早い時期から論理力に目を付け、それを受験期日までに身に付けた実績を持つ人物。



この実績がある分かりやすい基準を脳裏に描く、

「高学歴ならば安定した仕事量を期待することができるのではないか?」





これは偶然なのだろうか?

それとも僕の妄想なのだろうか?



ただ、この論理力の仮定がある程度、もしくは少しでも正しいとしたら・・・

の話しだがある疑問が生まれる。



努力次第では自分の望む企業にも行けるのではないだろうか?

まだ悲観することはないのではないのだろうか?








前述した仮定を一つ否定しておく。


一般に大企業と呼ばれるところは基準一つで人事を決定するほど愚かではないし、

彼らは安定ではなく成長を望んでいるということだ。
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日記 |トラックバック(0) |コメント(2)

まぁ、恐らく正解だろうとは思うけれど。などと上から目線で言ってみる。

あと、そのセンター試験とやらまで一週間を切りました。
去年よりほんの少しでも、合格者よりほんの少しでも、
いい点数がとれることを心から願っていますです。
がんがれ。
2008/01/15 (Tue) 23:59| URL | 跳水未菜 #- [編集]

>跳水
ぬおぅ!!じゅーでーーん!!!


サンキューなんだぜ、

もうちっとばかしやってみんぜ!!!!
2008/01/16 (Wed) 17:04| URL | リッチー #Wni.ZwPc [編集]

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